ノンケに恋する恐ろしさ 〜おっさんずラブ〜

今、巷で話題のドラマがある。土曜ナイトドラマおっさんずラブ」だ。「おっさんずラブ」とは、おっさん同士のピュアな恋愛模様を描いたドタバタラブコメディだ。ザテレビジョンによるウィークリー視聴熱ランキングでは、放送開始から3位→2位→2位と順位を上げ、第4話ではゴールデンタイムの各局看板ドラマを差し置き、堂々の1位を獲得している。また第5話放送直後には、同タイトルがツイッターのトレンド1位に輝いている。加えて同ドラマの公式ツイッターは、5/20付でフォロワー数17万人を超えており、ヒロイン「武蔵部長」の公式インスタグラムは40万人という驚異的なフォロワー数に迫ろうとしている。これらのことから、今まさに日本中がおっさん同士のラブハリケーンに巻き込まれていることがはっきりとわかる。
 ここで「おっさんずラブ」のストーリーを振り返ってみよう。
女好きだけど、まったくモテない33歳のおっさん・春田創一(田中圭)。 だが、しか~し! 彼はある日突然、“未曽有のモテ期”を迎えることに!それは文字通り“未曽有”の事態。 なぜなら、愛を告白してきた相手は…ピュアすぎる乙女心を隠し持つ“おっさん上司”黒澤武蔵(吉田鋼太郎)と、同居している“イケメンでドSな後輩”牧凌太(林遣都)だったからだ――!(公式HPより)
ここから見て取れるように、このドラマのカテゴリーは「BL(ボーイズラブ)」に当てはまる。日本の芸能界には、LGBTの草分け的存在として「オネエ」と呼ばれる人々がいる。世界的にLGBTへの理解が深まる中、日本にも少しずつその波がやってきているのはたしかであろう。近年では、「オネエ」というポジションではなく、「普通のゲイ」がドラマや映画に登場することが多くなった(普通という言葉を使うのは憚られるのだが)。しかしそれでもまだ仕草や口癖が女性的であったり、マッチョで短髪であったりというように、いわゆる世間のイメージするところの「ゲイ」として描かれるパターンが多かった。そこに突然、打って変わって全く違う切り口で攻め込んできたのが、この「おっさんずラブ」である。
 
 まずここでのゲイは、先述したいわゆる世間に刷り込まれたゲイではなく、「見た目も言動も一般的な男」として描かれているという特徴がある。牧も部長も主任も見た目からゲイであることは到底わかり得ず、「ゲイであることを隠して生きる人」を自然に演じている。この点については、当事者からするとかなりリアルである。いかに自然に一般社会に溶け込むかどうかが、我々にとっていかに重要であるか、制作サイドは承知の上なのだろう。また、このドラマは王道ラブコメディの様相を呈しており、「たまたま」主人公とヒロイン、その他のラブ参戦者が男であったとでも言いたげな自然さが感じられる。つまり、「ゲイの恋愛」ではなく、「恋愛そのもの」を描くことに着眼点を置いているのだ。作品中に「ゲイ」という言葉があまり出てこない点からもうかがえるだろう。これらのことから、このドラマが「月9的超どストレートぴゅあぴゅあブコメディ」を男同士で描くことによって、強烈なオリジナリティを表出していることがわかる。
 
 その中でも、このドラマの大きな特徴の一つとして、「主人公がノンケ(異性愛者)である」という点が挙げられる。ゲイに対しがちがちの偏見を持っていた春田が、自分がゲイに恋愛感情を向けられることによって少しずつ変わっていく姿には、春田と同じように偏見を持つノンケ男子たちへの重要なメッセージのように感じられる。というかもう本当に、春田は自分の可愛さをいい加減自覚してほしい。全方位に可愛さを撒き散らしすぎ。まじ罪すぎ。大罪。全面的に部長に賛成。それはさておき、ここに一つの重大な問題が浮かび上がる。それは、「ゲイがノンケを好きになる問題」だ。
 
 ゲイとノンケは、そもそも性的指向が異なる。つまり、ゲイは男性に、ノンケは女性に恋愛感情を抱く。そのためゲイの恋愛パターンとしては大きく二つ挙げられる。一つは、ゲイ同士の恋愛。そしてもう一つは、ゲイとノンケの恋愛だ。ここで問題なのが、後者は基本的に「ありえない」ということだ。なぜなら、ノンケは女性に恋愛感情を抱くため、例え男性に好意を向けられたとしてもそれにこたえることができないからだ。単純な話である。しかし世の中そう上手くはできていない。ゲイは、生まれた時から自分がゲイだとは思ってもいない。物心がつき、恋をした相手が男だった、そのとき初めて自分の恋愛対象に気づく。となれば、その恋をした相手はほぼほぼの確率で「ノンケ」である。いきなり恋をした相手も同じくゲイだったというパターンはなかなかないだろう。つまり、ゲイの初恋は、ほぼ失恋で終わる。この恋心は抱いてはいけないものだ、伝えることなどできない、気持ち悪がられたらどうしよう、といった想いが駆け巡り、自分を責めるようになる。中には、勇気を振り絞って告白する者もいるだろう。しかしノンケの恋愛対象はもちろん女性なので、あっけなく振られてしまう。そうして、傷つき、気づく。ノンケに恋をしてはいけないのだ、と。次第に心を閉ざすようになり、ゲイの世界に身を置き、ゲイの世界だけで恋愛を楽しむようになる。そのほうが自分も相手も傷つかないからだ。作中でも、武川主任と牧の会話でこのゲイのノンケに対する思いを表している。
 つまり何が言いたいのかというと、「ノンケに恋をするというゲイであれば誰もが通ってきたであろう苦しみの道をこんなにもぴゅあぴゅあファンタジーに描かれるとつらみがすごくて本当に胸が苦しい」ということである。これは非常にやっかい極まりない事態である。なぜなら、日本中のゲイに、「ノンケに恋しても、わい、ひょっとしていけるのでは??!」と錯覚させてしまう危険性を孕みに孕みまくっているからだ。だめだ、だめだ、騙されてはいけないぞ諸君。皆の者、あの若かりし頃の苦い記憶を呼び起こすのだ。ノンケに恋するあの鬼畜の極みのようにつらい日々を。どう願っても叶うことのない恋心の痛みを。牧春は、我らの苦しみを一心に背負い、そして、我らの分まで叶えようとしている。ぼくらはそれを、ただただ心の底から応援することしかできない。それでいいではないか。牧春が結ばれ、幸せになること、それ以上何を望むことがあろうか、いや、ない。なさすぎる。牧春ではなくとも、むさはるでも同じことだ。とにかくみんな幸せになってほしい。
 
 
 神様、ぼくらにもう一度初恋をさせてくれるなら、その時はどうかぼくらを傷つけないでください。もしノンケに恋をしてしまったときにも、傷つく必要のない世の中にしてください。「おっさんずラブ」が、ぼくらの夢を乗せて最終回へ向かっていきます。どうか明日も、平和でありますように。
 
 

おっさんずラブ放送中に書いた記事です)